Question 1
2023年度は本校から20名以上が海外に留学や海外ボランティアに参加しました。その代表としてみなさんにお話を聞きたくて集まってもらいました。それぞれの留学先とどういったプログラムだったのか聞かせてください。
西田
僕は夏休みに学校主催のフィリピンスタディーツアーに2週間参加しました。また、去年の年末に台湾で行われたASEP(Asian Student Exchange Program)に参加しました。自分たちは台湾の高校生と一緒にプレゼンをして金賞を受賞しました。
杉森
自分も西田くんと同じASEPに参加しました。
Question 2
ASEPとはどんなプログラムですか?
西田
アジアのさまざまな国の学生や生徒が集まって、社会課題から自分たちの興味があるトピックを選んで英語でプレゼンしました。テーマは毎年変わるみたいですが、自分たちは「高齢化社会」をテーマとして選びました。台湾の高校生と世界のデータまとめたり、現地でアンケートをとったりして一緒にプレゼンに挑戦しました。
倉本
私は文部科学省の「トビタテ!留学JAPAN」に参加して、3週間フィリピンのセブ島でボランティア留学しました。
矢野
私は、高校2年生の夏休みに早稲田大学系属附属校合同プログラムで6週間スイス留学に行きました。
Question 3
留学してどうでしたか?
倉本
「トビタテ!留学JAPAN」は自分でテーマを決める必要があって、私は「子どもの心のケアの仕方」をテーマにしました。孤児院にいって先生にインタビューをして、フィリピンでの子どもの支援や子育てについてお話をうかがいました。現地のスラム街で子どもと遊んだり、高齢者の方に実際に英語でインタビューしたりしました。実際のフィリピンの貧困の状況を知って、食育活動を通して自分に何ができるかなども考えが深まりました。
矢野
私が留学したのはスイスのレザンという場所で、様々な異文化が入り組んでいるところでした。公用語が4つもあって、英語の授業もフランス語でした。デイトリップに行ったときも、街中に言語が入り乱れていて、ちょっと勉強するとわかるようになることが刺激的でした。バスに乗っていても、いつの間にかドイツに入ってた…みたいな感じで新鮮でした(笑)とにかく日本の感覚と全く違うことにびっくりして、日本で体験できないことだらけでした。
Question 4
日本との違いや気づいたことなどありましたか?
杉森
先輩と台湾にいったときは家で料理する文化がなく、ほとんど外食でした。Uberのようなものが非常に盛んになっているのも驚きました。
西田
自分も同じです。朝ごはんすら外食で、朝ごはん専門店のようなものもありました。滞在中にホストファミリーの家で夜ご飯を食べたのは1食だけでした。台所のない家もあり、食べ物自体もそうですが食文化が日本とまったく違うことに驚きました。
倉本
フィリピンは米がパサパサしてて、ちょっときつかったです(笑)毎日ポテトを食べていましたが、日本のポテトよりおいしかったです(笑)自分が驚いたことは、日本の伝統文化をみんな知っていることでした。折り紙をしたときも、私は鶴の折り方を知らなくて、現地の子どもに教えてもらいました。YouTubeなどもみんな知っているし、あまり変わらない一面もあるんだなと。日本に行きたいけどお金がないとか、日本は物価が高いって知っているから行きたいけど行けないとか。フィリピンから海外に行くハードルが高いことにあらためて気付きました。
矢野
スイスはチーズがおいしかったです(笑)スイスは幸福度が高い国と聞いたことがあって、現地の人は誰もが笑っていて本当に穏やかでした。すれ違う人みんなあいさつをして、時間の流れがゆったりしていました。カナダの留学生もいて、色んな国からの留学生とも話せてよかったです。私は寮生活だったので、カフェテリアで先生と生徒がご飯を食べたりして、先生と生徒との交流が多くて学ぶことが多かったです。海外で違う言語を話すことは、友好的なコミュニケーションにつながって人間関係を築くのに大切なんだなと思いました。
西田
フィリピンではホテルでもあまりインフラが整ってなくて、トイレが流れなくなって人生で初めてスッポン?を使いました。いい経験でした(笑)それでも現地の人たちは幸せそうに暮らしていることに、感じるものがありました。当然スマホもないので、暇なときはみんなで遊ぶってことが当たり前なので、日本はある意味衰えているのかもしれないなとも思いました。
Question 5
今回の留学を通して将来の自分にどうつなげていきたいですか?
矢野
私は小学校高学年のときから「このまま日本にいるだけなのかな?」と思い始めました。日本にとどまって、OLになるって考えたらつまらないなと思って(笑)将来は起業して、選ばれる側でなく、選ぶ側になって、ひとりひとりが「ブランド」になって生きていける社会にしたいなと思っています。今回経験したのですが、翻訳機では言葉のよさがでないと思うので、血の通ったコミュニケーションができるようにもっと英語を学んで、海外で活躍できるようになりたいです。
倉本
自分は今回の留学では、自分が何か変えたということがなかったので、大学に入って心のケアを学んで、またフィリピンに行って大学で学んだ知識を通して、自分から何かを変えれるようになりたいです。子どもの貧困や虐待など暗いニュースが多いので、海外と日本の両方の子どもを支えて、手を差し伸べることができる大人になりたいです。
杉森
自分は親の仕事の関係で9年ぐらい海外で過ごしていたので、海外へのハードルはほとんどないですね。ただ小学校中学年の時期は日本にいたこともあり、自分は日本語のほうが定着しています。今ははっきりしたビジョンは無いのですが、日本と海外をつなげるような仕事に就きたいと思っています。
西田
今回のホームステイ先で、翻訳機やGoogle翻訳を使っていましたが、限界を感じました。本当に伝わっているのかな?って。テクノロジーがあるから他の言語を学ばなくてもいいとか聞いたことがありますが、程遠いです。自分はネイティブレベルに英語をマスターして、その次に中国語を使えるようになりたいですね。自分の夢は、日本に来る海外の人たちとのビジネスに携わることです。移民も増えてくるかもしれないし、まず言語の壁をクリアしなければと思っています。
日本を離れることでみなさんそれぞれの気付きがあり、新しい学びになったことが新しい自分の軸になりそうですね。今日はありがとうございました。